死ぬ準備はむしろ楽しんでいました。妻である自分が泣き崩れるのをみんなに見せたくない、だからお葬式は家族だけで、と言っていました。
悲しいのに、参列者にありがとうと言わないといかんの。大丈夫と聞かれて大丈夫と言わないといかんの。
お葬式から半年くらい経ったらお別れの会をして、友達やお世話になった同僚、お客さんにありがとうを伝えよう。
そんな話をして年が明けた1月、父ちゃんは亡くなりました。
少年野球のコーチを6年、息子の野球の応援を9年。本当は、高校生のあと3年間、応援をしたかった。
人との縁を大切にし、野球と家族を愛した「父ちゃん」。強くて、がつんと怒る親父で、人の子も叱り、褒め、言いにくいことも言う。
だから、近寄りがたいと思う人もいたけど、ファンもたくさんいました。
高校時代の仲間、チームの子供たちとその両親、仕事の同僚や上司、息子や娘の同級生。こんなにたくさんの人が集まってくれたよ。
父ちゃんが築いたつながりが、ひとつになって父ちゃんを囲んでいる。目を閉じると、試合のときの応援姿、子供たちを叱るときの怒号、励ますときの手の温かさ、たくさんのことが浮かんできます。
「父ちゃんのお別れ会」は始球式から始まりました。
式が始まる前の練習。夏の空の下での練習風景と、父ちゃんの「練習終わり!」という声が頭の中によみがえってきます。
「プレイボール!」
野球の試合開始の掛け声が会場に響き、会場が緊張に包まれます。ボールが祭壇に向かって勢いよく投げられ、見事キャッチに成功。拍手が巻き起こりました。
父ちゃんには、焼香や献花よりも、『献球』が似合う。ひとりひとつ野球ボールを受け取り、祭壇に向かいます。
野球が本当に大好きで、会社のチームをつくったり、地域の野球チームでコーチを務めたりした父ちゃん。息子の野球や娘のバレーボールでの活躍も、全力で応援しました。
仕事には熱く、プライドを持ち、お客さんにも愛されていました。旅行やキャンプが好きで、高校の卒業旅行、会社の先輩や同僚、友人、家族との記念写真がたくさん出てきます。
ボールを芝生に置くと、スクリーンの父ちゃんがキャッチしてくれるような気がしました。語りかける人、涙を浮かべる人、笑顔で小さく手を振る人。
「3人の子の父ちゃんは、食べることも作ることも好きで、おかげでわたしたちはコロコロです。―とにかく、熱い人でした。50歳の生涯を閉じるその瞬間まで、全力プレーでした」
「立派な大人になります。肉体が亡くなるだけで、存在はずっとある。たまには夢に出てきて叱ってください」
お別れ会当日は、父ちゃんとの22回目の結婚記念日。式の最後、結婚祝いに子どもたちがサプライズで花束を用意してくれました。
「父ちゃんは、言葉が話せなくなるだけで近くにおるぞ」と言っていました。
父ちゃん、天国で見ているかな。家族みんな、笑顔になれたよ。『チーム父ちゃん』は、これからも元気に、明るく前を向いて歩いていくからね。